HYDE が目の前に?!

 

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これができたら、すごい対談だ

違います。

これにいってきました
 

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ファイナルファンタジーのキャラクターデザインをされている「天野喜孝」と
ラルクの「HYDE」
細やかなタッチで幻想的なキャラクターを用いて描かれていました
この2人の独創的な世界観で魅了してくれます

 

「一人の人間の中に、天使と悪魔、両面がある」
HYDEの内面から引き出して描いたのは、「天使」「悪魔」
その両者が対峙する舞台、混沌とした近未来の「日本」や架空の世界を描いたようです。

 

 


日本は自由?

 

先鋭的な情報社会として発達していく、わが国、日本
その”自由すぎる自由”を求めて若者を中心に休息に肥大化し
その情勢は、まさに”混沌”の一言に尽きます
”自由すぎる自由”が生んだ”不自由”の犠牲で、生まれた2つの存在
天使悪魔

 

高度なシステムと豊かなインフラを携えながらも
荒廃の一途をたどるカオス(日本)に降臨する天使
天使はその神格的にして圧倒的な威厳で、即座に法を整え、理を正し、規律を礎にして
反目のない安定した社会を築き上げていく
カオスとは対極をなす、静粛にして安寧の世界
厳しく律された新世界は、確かに人々にある種の幸福を与えたが
反面、精神的な束縛も生み、人々は自由の意味すらもわからなくなっていく
果たして、これは天命なのか・・・

 

そこに現れたのは、悪魔
天使が与える一元的な幸福に疑問を呈し、反旗を翻す存在だ
世の理として存在する天使に対峙し、圧倒的なカリスマ性を放つ悪魔に
それまで天使の法に疑問を感じながらも沈黙を守っていた少なからずの民衆が共鳴する
闇のレジスタンスの誕生
果たして、これは背徳なのか・・・

 

どちらが”正”で、どちらが”悪”なのか

天使と悪魔は、それぞれの”天命”を確信しながら
対峙する存在の法に”背徳”し、日本を、新たな進化へと導いていく・・・

 

考えさせられる、展示会でした

 

 

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一般的に天使は「善」を、悪魔は「悪」を象徴します
天野さんが描いた天使や悪魔は、この「当たり前」の線引きにおさまらないんですね

 

「自由」は幸福を与えてくれるけど、絶対的で不自由な側面もある
考えが違い、反旗を翻す存在を果たして悪と言えるのか・・・
何を想起するかは見る人により異なりますが
天使より悪魔が力強く描かれているように見えるような

 

天野さんは
「天使は、やるべきことをやり尽くしてしまって、もう何もかもを「超越」してしまった存在だと
一方、悪魔は、これからしなければいけない何かがある「生」の存在というようなイメージに至った」と言うておりました

 

面白いですね

 

”既存の価値観に従えば普通に幸せ”
というような幻想が潰えた現在、共感を集めるのは、天使より悪魔なのかもしれませんね

 

 

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「自由」とは何か?

 

何者かが作ったレールの上を、限られた選択枝の中から選択するとき
その何者かが、自分で選択したのだと思わせる大義名分としてある言葉ともいうらしい

 

この世の中に、完全な自由というのは存在しないのでしょうか?

 

いつも何らかの制約があり、その制約によって制限された範囲内で私たちは生きています
ここで自由は2つの方向性が発生します
一つは、与えられた範囲内で選択できる自由を満喫する。これを「フリーダム」と呼ぶとする
それに対して、与えられた自由に疑いをもち、自由を拡大するように働きかけるのを「リバティー」と呼ぶとする
前者は「与えられた自由」、後者は「勝ち取っていく自由」です

 

そこに、私たちを背後から追い討ちをかけてくるのは、「渇愛」(果てしない欲望への執着)から起きるさまざまな

懊悩(おうのう)です
欲望に振り回されて、ついに最後にはなにもかも失い
失った果てに自らの愚かさに気づくことも少なくありません
また激しい愛情によって、がんじがらめにされてしまう親子のゆがんだ愛情などもそうかもしれません

 

それらから開放できるでしょうか?
ひとつ問題を解決するとまた次の問題がおき
死ぬまで私たちはそういう苦しみに満ちた不自由を感じないわけにはいきません

 

そして問います

 

自由とはなんですか?

 

自由とは私の生きる決意(覚悟)そのものか
もし、生きる覚悟も決意もなければ、私は自由の刑に処せられることになってしまう

 

 

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いいのか、わるいのか

 

 

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自分が何かやろうとしたとき、他人から制限・拘束を受けないことですよね
やりたいことをやり、会いたい人に会い、行きたいところに行く!
誰からも文句を言われない、言わせないということです
ただ、自由と一緒に訪れるもの、それが、「責任」
何か事が起きると(問題が発生した場合)、全て自分に責任がある。ということでしょうか

 

人間が感じる自由とはあってないようなものです
自由といえば聞こえは良いですが、人間は束縛により喜びや愛しさを感じることができる生き物なのか・・・?

 

 

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あー、お腹一杯だー♪

 

 

 

 

 

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