年始の話です

子供がいる友達と、いろんな話をしていた時です

仕事の話、将来の話、子供ちゃんの話を聞いていた時です

なんだかその時に、何やらモヤモヤとしていたんです

でも、そのまま時間が過ぎていってしまって、、、今となって

 

あれは、

なんやったんやろうなあ?

って、、、

 


それが、今日になって、気づいたんですわ


あれま

 


そうです

やっと、”言葉”が浮かんできたんです

ただそれだけなんですが


さて、残しておきましょう

忘れんうちに

 

 

頭の中の感覚を、できるだけ”近い言葉”にするのは

どちらかいうと、得意とするほうだ

しかし、夢中になると変なところで飛んでいってしまう事があります

そうなると、なんだか訳も分からず感情だけが突っ走り、

ただ、嬉しくて、感動して、楽しくなるだけで、時間が流れます

 


人を見ると、伝わる気持ちから、なんらか思いが込み上げる感覚ですよね

例えば、仕事を終えた週末の人ごみをみれば、

     恋人がいる人をみれば、わくわくが伝わってくるように

 


<最初の話へ戻ります>


子供を持つ親を見れば

「這はえば立て 立てば歩めの親心」という言葉通り

次はいつ歩き出すんだろうかと楽しみにしている

子供の成長を待ちわびる親の気持ちがあるからこそ

そこに大い期待をかけるのあれば、


そうあれば、

”自分”も、子供が成長するように、自分自身も成長するのでなかろうか

です。

そうこれが言いたかった

 

当たり前のことかもしれません

 


成長期、全盛期、そして発展期

自分の中にあるものすべて、自分が作り出す可能性と機している


行動しながら迷い・・・

行動しながら見出す・・・


大人だから、もう答えが分かってる? 

では、年をゆけば、なお分かるのか?

 

「広がり」とは、「自分」とは・・・

 

子供が同じ感覚で、成長していくべきものは大人も同じ

 

そうやって、人は、自分の小さな世界を赤子のように手を伸ばして広げてゆくのではないでしょうか